2007年2月25日日曜日

倉ケ岳


写真の右から1/3くらいのところの山。
馬の鞍に似ているから
「くらがだけ」と聞いたが、
地図で調べたら「倉ケ岳」だった。

尾山から鶴来街道を下ると正面に見えます。

でも、倉ケ岳といえば、加賀の一向一揆。
当時の守護、富樫政親は一揆勢に攻められ、
高尾城の背後、倉ケ岳(565m)に落ち延びますが、
追ってきた一揆側の水巻新介という武将と一騎打ちの末、
大池に馬もろとも転落死(1488)したという伝 説(?)があります。
政親が戦死した旧暦6月9日には、
たたりを恐れて、決して池に足をいれてはならないと言われています。
この後、加賀国は約100年間、天正8年(1580)まで一向一揆の支配下にありました。

最近、大池の周りは観光用(?)に整備されて、明るい雰囲気になったけど、
個人的には、昔の草木がおおいかぶさっている、薄暗い池が不気味でよかったなぁ・・・・

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