大きな桶に植えているのではありません。
もとは大木があったところに、植えられたものです。
銀閣の中に入る機会があり、
書院造の明かり窓を1/3ほど空けて、
「こうすると、後ろの庭の景色が掛け軸の代りになり…
かの足利義政公もこの南天を見ながら…」とガイドさんの説明。
“その南天は樹齢 500 年か?”って、悪態ついてましたが、
大事な庭の、大切な木というのは、
跡継ぎになる木を別のところで育てているものなんですね。
兼六園の木々も、何代目の○○松だ…とかあるようです。
何が必要で、何が不要かは、それぞれの時代で違うと思いますが、
名木が台風などで倒れた時に、
倒れてから代りを探したんじゃ手遅れになるし、
途切れてしまって、代々つなげていくことができなくなる。
歴史的なこともそうで、
代々受け継いでいかなければいけないことってあるのに、
後から勝手に解釈して、日本人はそんなことをするはずがない…
と、いう人たちがいる。
祖先が悪人でもいいじゃない…って、どうして思えないのか不思議。
今を生きる者として、過去を受け入れて、次代につなげなきゃいけないんじゃないか?
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